根拠のない自信をもつ

プロフェッショナル 仕事の流儀 (2)
 
 「AHA!体験」「クオリア」「NHKプロフェッショナル」幅広い分野で活躍する茂木健一郎が気になってしょうがない。難しい専門用語はわからないけど、彼が番組で話す言葉、解説やキーワード、キーフレーズがものすごく腑に落ちてくる。なぜ?
 せっかくの1周年記念は、ついこの間聞きに行った茂木健一郎講演会「思いっきり私的議事録」。
 平田オリザさんの「思いっきり私的議事録」は、ネタノートに書きこんでしまってから、ここに直接書けばよかった〜!と後から気づいた。
 茂木さんの講演も脳がぴきぴき働き、気持ちの良い疲れが意識できるほど興奮した話だった。せっかくなので、ここでご紹介。
 「思いっきり私的議事録」のため、ご本人のお話とずれているところがあるかもしれませんが、これは私の「編集」した議事録ですので、お許しを。
 
 講演テーマ「家庭における親の役割 〜親と子の真のコミュニケーションを築くには〜」
「いつもはパソコンを使うのですが、今日は本気モードなので!」とマイク1本で話し始める。
 少し前に呼ばれた母校(東京大学)の学園祭でのこと。失脚前のH氏が「大学で勉強してもしょうがない、中退して起業しよう!ビル・ゲイツだって大学中退だ」と学生をアジって(懐かしい!)いた。
 なのにそばにいた教授連中は反論もせず、下を向いていた。
 日本の最高学府と言われる東京大学にしてもこんな状況なのに、今はなぜか初等教育からの受験が過熱している。関西もしかり。
 確かに「良い大学」には伝統やたくさんのOB,OGも居り、熱心な先生もいる。が、学びとは、もっと平等で学校だけではなく広く一般に開かれたものではないか。

 インターネットの普及により、知識は簡単に手に入る。大きな大学の図書館でしか出会うことのなかった文献もネットで検索すれば、無料で自宅ですぐに探すことができる。
 Wikipediaは、今世界で一番信用されている百科事典よりも信頼できるとのデータもある。
 こんな時代に必要なのは知識を得ることではなく「どう使うか」。
 また今の社会で一番求められているのは「コミュニケーション力」と「創造力」。
今までなかったものを創れる能力が莫大な富を産む。
 この力はどうやったら身につけることができるのだろう。
 大切なのは「基礎学力」+「現場に飛び込める力」、そして大事なのは「感情」である。
 仕事に感情は必要ない=コントロールされるもの、だった。
 しかし感情とは、実は「人生において避けることができない不確実性に対応できる能力」であることがわかってきた。
 答えがないとき、どうしても判断しなければならない、重大な決定のとき、人は感情を使うようだ。
 危機管理とは、最低の状況のとき、どういう感情が立ち上がってくるかにかかっている。
 どんな状況のときでも、温厚で平常心を保てる、これは感情のなせる技だ。
 この豊かな感情を育むためには「生」の体験が一番である。たとえば、子どもにはキャンプなどいつもと違う状況でいろんな人に合わせる。本を読んだり、いわゆるお勉強も大切だが「脳の栄養」になるには、編集前のノイズを含んだ「生」の体験こそが何よりも大切である。 
 今までの自分の経験ではありえない、不確実性を含んだ編集前の「生」の体験から「自分に意味のあるもの」を拾いだす=編集することが豊かな感情を育むことにつながる。
 私たちの脳の側頭葉では、たとえば子どものころに言われた一言を大人になって気がついたり、思い出す経験があると思うが、それは側頭葉が自分の体験をずっと編集続けていることによるもの。脳はOpen Ended=一生働き続ける臓器であり、学び続けることが一千億ある神経細胞活動の優れた栄養になっている。
 昔、莫大な富を得た商人たちが、本居宣長に言った「学問する愉しみに勝るものはない」の言葉でもわかるように、「本当の学び」には終わりがないし、限りもない。
 作られた基準に自分を合わせる「受験」だけでは「本当の学び」や「学問する愉しみ」は得られないのではないか。
 
 脳から出されるドーパミンという物質は、嬉しいことがあると放出される。それは、たとえば好きな人と目と目があっただけでも、放出される。こういう現象は社会的動物である人間だけのもの。そうすると、ドーパミンが放出される前のことが脳の記憶として強化されることがわかってきた。つまり、記憶の「火」をつけてあげることが大事。
 そう、教育とはこの最初の「着火」をすることだと思う。
 「人生の不確実性を楽しむこと」これが学びに関わっている。
 できるかどうかわからないこと、「最初」はだれでも「できない」もの。これを楽しむ。(師匠の養老孟司さんいわく「1年に一度はやったことのないことにチャレンジする」とよい、らしい。)
 さて、この不確実性を楽しむには何が必要か。
発達心理学のジョン・ボルビー(イギリス)は「安全基地」が必要だと言っている。
それを担うのはたとえば子どもの親である保護者。
親にスキンシップを求めて甘えている子どもは本能である「愛着」の気持ちを持っている。
 自分は親に守られている、安全だと感じることで「自主性」が芽生える。決して過保護ではなく、干渉しすぎず。見守ること。
大人はどうか。社会的ネットワークを持つ大人であれば、知識やスキル、今までの経験や自分のパートナーも「安全基地」になるだろう。

 そして「根拠のない自信を持つ」。
先日のNHKプロフェッショナルのテーマは「逆境を乗り越える」。逆境は最大の不確実性である。逆境に陥ったとき、自分を信じてあげることが「感情の力」になる。

 イギリスのギャップ・イヤーをご存知だろうか。
高校卒業から大学入学まで、あえて1年間の空白を作ることである。前のめりの日本社会の対極にある1年の「空白」という時間。ボランティアをしたり、世界旅行をしたり。ちなみにウィリアム王子はギャップ・イヤーを南米で過ごされたそう。
 この「空白」に耐える力、それが不確実性に耐えられる力を生む。
 日本にも仕事の句読点として「ギャップ・キャリア」があったらよいと思う。
                                         2006.10.1 京都会館にて

 講演を聴きながら、ほんとに元気になった。 
 「私の生き方、間違ってなかったんだ!」 自分を肯定してもらえた。

 最後に質疑応答の時間があった。一生懸命手を挙げたけど、時間切れ。
 いつもいつも忘れ物をする娘のことを「脳」のお話を絡めて聞いてみたかったのに残念!
 そして、今日も娘は朝持って行った水筒を忘れて帰ってきたのでした…。あああ…。