「今」の自分が楽しい♪

 
 前から読みたかった樋口恵子さん「女の子の育て方」−愛と自立への出発−を読んでいる。あっという間に返却期限が来たので、部分読みになったけど…。
 「性の教育」で「女の子にとって、性教育の第一課は、自分が女性であり母性であることを肯定し自信を持つと同時に、母性だけが唯一の自己存在証明だけではなく、さまざまな可能性が同時に開かれていることを教えることだ。」とある。
 この本の初版は1978年10月。私は中学生。こんなに賢いことばを2006年になってやっと知るなんて…。残念と思うより、何年経っても古くならないことばに嬉しくなる。
 私の母はいつも「手に職を持って自分で食べていけるように」と言っていた。それは自分に何も「手に職」がなく、私が小さい頃は家計を助けるために「内職」をするしかなかったから。
 でも、私や弟の服を縫い、古くなった洋服から布団カバーを作り、姉弟おそろいのカーデガンを編み、庭でトマトやスイカを作り、大好物のコロッケや肉じゃがを作ってくれた。今の私にはできないことばかり。
 裕福ではなかったけど「豊かで楽しい思い出」を私や弟に遺してくれた。
 
 母は手先が器用で何でも直したり、作ったりできたのに私はまったくの不器用。たくさんの男兄弟の一番下で「女だから」と炊事洗濯などのおさんどんを当たり前に押し付けられてきた母は、自分の娘には「家事」だけの女になって欲しくなかったようだ。
 とにかく私のやりたいことはすべてやらせてくれた。おかげで5歳から続けていた音楽で、電子オルガン講師にもなったし、今も一応「自分の仕事」と言える職業も持っている。
 でも18歳で一人暮らしをするまでハンカチひとつ洗ったこともなかったし、ごはんも作れなかったのよねぇ。母は食事を作ったり、家事を手伝う間があったら勉強したり、自分の好きなことをしなさい、と言う人だった。
 これが当たり前だったから、家庭科なんてまともにやってないし(宿題はすべて母か、器用な友達の作品)ほほほ…。
 そういえば、一人暮らしをする前に見かねた父がハンカチの洗い方を教えてくれたことがあったなぁ。おもしろいねぇ。
 かといって、家のことは嫌いじゃないし、掃除や洗濯、ご飯もそこそこちゃんと作ってます。
 やっぱり家の中がきちんとしている家に育ったことが大きいと思う。
 (その割には娘の部屋が散らかっていて、きったないのが悲しい…何でだろう?♪)
 実は細かいことは母より父の方がうるさくて、休みには台所の流しの汚れをぶつぶつ言いながら父が磨いていたこともあったし。こういう性格を父にそっくりな私が継いでいるかも。

 私はいつでもそのときの「今」が一番幸せだと思う。
 幸せな「過去」があり、幸せな「今」があるから「未来」がある。